ブログ管理人についての自己紹介をさせていただきます!
はる🍀の由来
管理人のはる🍀というニックネームでブログを執筆しています。
このニックネームの由来ですが、
単純なんですが、韓国ドラマの「偶然見つけたハル」が好きでこのハルのように生きていきたい!と思い、あえてひらがなで「はる🍀」としました。四葉をつけて他の方と被らないようにしています!
なんです。
はる🍀がせどりをスタートするまでのお話
はる🍀がせどりと出会った経緯は
何かをやっていないと自分が壊れてしまいそうだったから
です!
過去に何度か「適応障害」と診断をされたことはあったのですが、そうならないように気をつけて生活をしてきました。
できるだけ我慢しないように我慢しないようにしてきたのですが、コロナ禍で状況は大きく変わりました。それが派遣として働いていた先で仕事がなくなるという巷でよくある話です。
そのとき、インスタとかエックスでせどりが流行っている事は知っていましたが、そのときの選択肢としては自分の時間を売ってお金に変えるというサラリーマンとしての働き方でした。
運良く、正社員として雇用してもらうことができ、約4年くらい働きました。仕事をやっていくと、1年毎に大きく昇給をしてもらえて年3回の賞与がありそういう待遇の会社ってなかなかないです。
その中で、キツイなとか腹が立って仕方がないけど…と思いながらも、我慢をして勤めに行きました。
それは子どもがいて生活があるからです。自慢ではないですが、共働きは必須だし、旦那はなぜか給料の低いことに不満はないようで結局は私がどっかから持ってくるしかないという家庭の事情ってやつがあります。
相当な我慢をして仕事をしてきた結果、ある日、身体の不調を感じました。
頭痛、吐き気、めまい、倦怠感などです。何もしていなくても泣いたりしていることもしばしばでしたし、仕事中もふと思うと、感情がコントロールできず自然と涙が溢れてくるなんてことはたくさんありました。
そして、とうとう、ある日の朝です。何かが壊れ身体が一切動かなくなりました。ベッドから起き上がることができないのです。
慌てて会社に連絡をし、上司にこう言いました!
心が痛いです
と。
上司は何かを察してくれたようで、「わかったよ、ゆっくり休んでね!」と言われました。
2日間のお休みをいただき、また仕事に戻ったのですが、そこから約2週間後、同じように不調がありましたが有給が残り少ないこともあり無理をして会社にいきました。
しかし段々と笑えなくなっている自分がいるし、食事をすることができず、風呂に入ることもできずという状態になりました。感情が一切消えた日でした。このとき、私の中で一人でいるのが怖く、頭の中はもう消えてしまいたい!と思うこともありました。特に夜の無音状態に耐えられずずっとYoutube動画を延々と再生していた頃です。
すぐに精神科にかかり「適応障害」と診断をされました。そして、「診断書書くのですぐに休職して休んでください!」と医師から告げられ休職期間にはいりました。
休職期間中のこと
休職期間、1ヶ月目は何もできず寝たり起きたりしていました。
ほとんどをベッドの上で過ごすという完全なる病人です。そして朝が来ることが怖くてたまらない状況でした。そのため、夕方になると少しだけ起きられて夕食を食べて寝るというスタイルでした。
2ヶ月目になると身体が段々と楽になり朝起きて日中はテレビや動画を見て過ごせるようになりました。これなら復帰できそう!ということで医師に相談すると、渋々ではありましたが許可が降りたので一旦、復帰をしました。
ところが1週間職場に戻ってみて感じたのはここにいることがストレスなんだということ。仕事をしている空間にいるだけで感情が消え、嫌なことが頭の中でぐるぐる回ってしまうのです。
そして結局は再度、休職をすることになりました。
その後、1ヶ月毎に状態は良くなっていきましたが、見た目には普通に見えるのできっと周りもそう思っていたことでしょう。自分の実母も「あなたは病人には見えない。どこが悪いの?」と聞くほどです。
それは当たり前です。話せるし身体も動く。ただ、感情をコントロールする脳が壊れているのでそれがいつ突然出てくるかわからないんです。
適応障害の診断から9ヶ月目、私の中である変化がありました。それが「このままでいいんだろか?」ということ。
身体も頭もフリーズする
最初に頭がフリーズすると気づいたのは車に乗ることができなくなっていたこと。
車に乗っているとき、頭痛を感じることがよくありました。そのため、できるだけスピードを出さず法定速度以下で走っていました。それでも怖くてたまらなくなり、医師からも当分の間は運転は控えるようにと言われたので乗ることを辞めました。
夕食を作ろうと思ったときのこと。
カレーライスを作ろうって思っていたのですが、必要な材料を揃えることができないのです。普通の方ならそんな馬鹿なことはないでしょうって思うでしょうが、当たり前の材料を揃えられないのです。
何が必要だったのかを頭の中の引き出しから出すことができないのです。この日、子どもに「カレーライスの作り方」って調べるんだよ!と教えてもらい、じゃがいも、人参、玉ねぎ、肉、カレールゥを買ってきてもらってカレールゥの後ろに書いてあるとおりに料理をすることができました。
とある日、子どもに誘われたので久しぶりに大きなショッピングモールに行きました。子どもは自分の買い物があるので、ママは好きな場所を回ってきていいよ〜ということで店内を回っていました。しかし、あまりにも混雑がひどく段々と気分が悪くなってきました。
すると頭が割れそうな痛みを感じ、目の前がぐるぐると周り、ハッと気づくと今自分がなんでここにいるのかわからなくなってしまったのです。そして身体が一瞬硬直してしまったかのように立ったままそこから動けなくなったのです。目を閉じて立っていると子どもの声が聞こえてきてホッとして我が子を探します。混雑も駄目なんだと思ったので買い物は日中ではなく人があまりいない時間帯を狙っています。
こういう当たり前にできていたことができなくなっていたのが適応障害になった当初(2〜3ヶ月目くらい)のことです。
このまま働かずに暮らせるのか?
休職期間を9ヶ月目に入った頃、ようやく一人でなんとか過ごせるまでになってきました。
それでも、昼夜逆転というものはたまにあるし、朝が怖いと思うこともあります。未だに一人で買い物に出かけることには抵抗があります。それほど、私は壊れてしまっていたんだと思います。
医師からも「ゆっくりと治しましょう!」ということで焦ってはいけないと伝えられているのですが、それでも復帰への焦りはあります。
そんな中、休職から約1年経過したとき会社からとある提案がありました。
一旦、退職したほうがメリットが大きいかもしれないので考えてみてください。
つまり、働けないなら辞めてください!とは面と向かって言えないので、提案をして自己都合での退職を促すというものでした。
家に持ち帰り、医師と相談をすることにしました。医師からは適応障害の原因の一つが会社であること、これを引き離すとメキメキと症状は回復していくはず!と言われ、退職手続きをすることにしました。
色々と考えてみたのですが、確かに縛られているよりはいいのかもしれない…
でも、会社を辞めてその後はどうすればいいんだろう?
という不安でした。
せどりとの出会い
そんなとき、とある一つのインスタグラムからの情報で
せどりで◯万円
なんてものが目についたのです。
へ〜せどりってこんなに稼げるんだったけ?と思った記憶があります。
そこで、色々な情報を調べてみたのですが、どれもこれもみんな怪しいものばかりしか目につきません。
一番最初のコンタクトを取った方はAさんで面談ということでお話をさせていただいたのですが、いきなり
せどりで稼ぐ理由はなんですか?→そんなぼんやりしている答えじゃ稼げません!
どうして稼ぎたいのですか?→そんな考え方では稼げません!
僕が稼がせるようにするのでこれから言うことを全部やってください。あ、期日決めます!◯日までにこれからLINEで送ることをやっておいてください!
と命令口調で話をされてしまい、適応障害の症状が出てきてしまいました。
もう無理!と思い、ラインを見ると
こちらのポイントサイト経由でクレジットカードを5枚作る→◯日まで(完了後LINEする!)
稼ぐ目的を決める→ぼんやりではなく確実にコレ!というものをしっかりと決める→これが完了したらLINEして面談する
わずか10分程度の話をしただけの方にここまでなんで言われるんだろう?と不安になりました!
そして、このひとのことを調べていたら…
この人は勧誘をして稼ぐ紹介ブローカーみたいな立ち位置の人で入会金◯◯万円の20%が報酬としてもらえるようなのです。つまり、勧誘をして入会させると貰える報酬目当てなので強い口調で責め立てる事ができたのかな?と。
実際にこのひとはすでにせどりから引退をしているので実績がないらいしのです。
こんな最初の入口で嫌な目に遭ったのでもううんざりだなと思い、独学でせどりをすることにしました!
ここからのせどりについてのことは、徐々にブログに書き残しています。
気になる方はじっくりと読んでみていただけるとありがたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
管理人 はる🍀