ブログ管理人の迷子(めいこ)です。
簡単に自己紹介します。
迷子(めいこ)の由来
管理人の迷子(めいこ)というニックネームでブログを執筆しています。
このニックネームの由来ですが、
家計について悩み、家計簿をつけてもなかなかお金を貯めることができず、長くの間、迷ってきたこと
なんです。
家計の迷い子という理由からニックネームをつけました。
家計の迷い子になってしまった経緯
家計の迷い子になってしまった経緯は色々あります。
最も大きな原因は、夫婦で安定した職を辞して、非正規雇用となってしまったことにあるんだと思っています。
これはそのときの選択肢としては間違っていないけれど、今となれば、頑張って正規雇用を続けていればな…という思いしかありません。
結婚当初は、両親との同居をしており、なおかつ夫婦ともに正社員の共働きであったため、年収は600万円台だったと記憶しています。私は独身時代から会社に内緒で副業をしていたため、700万円くらいの年収があったんです。
それが、私が先に正規雇用を辞め、副業のみで生計を立てようとして、年収が下がり400万円台となります。その翌年に、職場の異動辞令が出て、そのときに義父が急死したこともあり、その異動辞令に納得できない夫は退職をすることになります。(まあ、当時の会社の人事異動命令は絶対なので、できないと断れば辞めてくれ!と言われる時代だったんです。)
そこから夫婦の年収が300万円台にまで下がってしまったことから始まります。
半分になった年収にやりくりはどうやっていたかを思い出すこともできないくらい辛かったな…という思いしかありません。
仕訳ができない逼迫家計
貯蓄なんてものはできるはずもなく、とにかくお金が出ていくことが多く、それをどうやってやりくりしようか…と悩んでいるのが当たり前でした。
というのは、今まで両親が元気なときって交際費の支出は親が払ってくれていたんですが、それが義父の他界、義母の認知症発症ということが重なり、一気に全部の家計のやりくりが年収300万円台の私達のところにやってきました。
◯◯さんのおじいさんが亡くなった
という知らせが届けば、葬儀に参列しなければならなく、香典や忌贈品で10万〜15万円がパッとでていくなんてこともしばしばでした。
低所得非課税世帯であったこともあり住民税や子供の保育料はほぼかかっていませんでしたが、小学校入学と同時に出費が増え、習い事もさせていたため、月々のやりくりがどんぶり勘定となってしまっていた時期です。
更に追い打ちを掛けたのは、義母の介護と育児が同時にきてしまったということ。
義母が認知症になってしまったことで、上の子2人が小学生だったころは介護もしなくてはいけないし、育児もしなくてはいけないということでフルタイム勤務が難しい家庭状況でした。
そのため、フリーランスという仕事形態を選び、スキマ時間で稼ぐという生活スタイルを取らざるを得ませんでした。
フリーランス時代のこと
家でできる仕事をということでフリーランスという仕事形態を選び、子供2人を大学に通わせるまでのお金を貯めることができたのはこの時期でした。
受験するだけでも1人あたり100〜200万円というお金が出ていくので、数年間、死にものぐるいで仕事をしました。
その後、3人目を出産し、昼間は保育園に預け、今までと同じように必死に仕事をしていました。
しかし、ネットに関する仕事の状況が少しずつですが変化を見せはじめ、私がやっているフリーランスの仕事も徐々に様変わりしていきます。
追い打ちを掛けたのは、Googleのアップデート。これがYMLMというものが重視されるようになってきたことで、私に仕事を依頼してくれていた方の状況ががらりと変わり、今までと同じ量の仕事は回せないとうことになってきました。
そして、数回のGoogleアップデートが行われたことで、メインのクライアントさんからは最終的に契約終了という通達が来ました。
複数のクライアントさんと仕事をしていたのですが、どの企業さんも段々と単価を安く設定されてしまい、これでは以前と同じ状況で仕事はできないな…ということを考え始めていた時期でもあります。
3人目の子供が小学校6年になった時期に、家族会議をし、働きに出よう!と決めたのです。
外で働くことの難しさ
40代になってしまっている私。
どんな仕事がいいんだろう…
働く時間はどうすればいいんだろう…
など、考えることは山程ありました。
幸い、夫が朝8時〜夕方5時という定時勤務であったことはありがたいな…と思っています。
その時の私は、とある企業さんから電話サポートの仕事をもらっており、午後からは在宅でお問い合わせを担うオペレーターの仕事を任されていました。この仕事に支障をきたさない求人を探すことからスタートです。
そこで、朝6時〜11時までの仕事ならなんとかなるな…ということで、派遣ではありましたがとある宿泊施設の朝食バイキングの接待をする仕事に就きました。
時給は930円。しかし、この仕事、実際には10時〜10時30分に終わる仕事であることと、私は派遣であるため、シフト日数が10日〜15日程度なのです。そのため想定よりも稼ぐことはできません。
繁忙期である10月、11月、12月は稼ぐことができましたが、1月からは15日も仕事はありませんでした。
勤め始めて5ヶ月目のこと。
2020年2月、新型コロナウィルスの話題が持ち上がり始め、3月にはシフトがなくなりました。
そう、観光業である宿泊施設はお客様がこないため、仕事がなくなったのです。
派遣である私達が最初にシフトがなくなりました。
このままでは生活ができなくなる…と不安がよぎり、新たな職場を探し始めます。
介護職員として働こう!
求人とにらめっこしている中で、とある介護求人と出会います。
2日間で資格が取れて、すぐに働けるという重度訪問介護という仕事です。
4月に研修を受け、5月から雇用契約を結びました。
複数の方々の支援に入っていた中のお一人に言われたことが
支援のスキルが低い
ということ。
ストレートに言われたわけではありませんが、先輩介護員さんと比べられ、指摘を受けました。
そこで、介護の資格を取得しようと、介護職員初任者研修を受講します。
そのときに学んだ認知症支援に関することが、実際に認知症介護をやってみたい!という思いを強く引き出し、施設で働くという選択肢を増やしてくれました。
いくつかの施設を見学させてもらい、そのときに印象が最も良かった施設に面接を申し込み、採用されました。
それが今の特別養護老人ホームです。
私の人生、迷ってばかりだったけど、ようやく天職なんじゃないかと思える仕事に出会えた感じがしています。
家計再建のために…
介護業界って給料が安いと言われていますが、お世辞にも高いとは言えません。
ただ、40代後半の私が正社員として働ける場所は、介護業界しかなかったということ。
今の法人は、60歳が定年なのですが、10年ちょっとは正社員で働くことができます。
安いけれど、ボーナスも出ますし…笑
夫の会社は、ここ1〜2年で賃金カットが打ち出され、2021年の賃金は2020年と比べると年20万円ほどが減額となりました。2022年も赤字による賃金カットが言われているそうで、5,000円/月程度はカットになる予定だということです。
コロナウィルスにより、働ける場所があるだけでありがたい!と思わなければならないことは承知していますが、カットされた分をどうやって補填するのか…が今後の課題となっていきます。
脱ダメ家計を乗り越えるために、ブログに書き残していきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
管理人 迷子(めいこ)